コロナ禍の社会的収束とともに新しくお目見えしたいくつかの新しい開発で感じるのは、簡素化。
実は、工事費高騰による致し方ない部分も大きいと思う。また、人材不足、DX化など運営、光熱費などのインフラとあらゆる局面でコストコントロールが求められるご時世である。
この数年、我々はコロナ禍での制約に振り回され、ほとほと疲れたし、そこからの学びも活かしたい。
「足るを知る」である。
余計なものを作らない。今、何が本当に必要で何が余計かを吟味する。その上で、将来対応の可能性も視野に入れておく。
つまり、まずは、最低限から始めてみる。そして、必要に応じての段階的なリノベーションを最初から想定しておく。
そこで見えてきたのは、人が集まる空間で本当に必要なのは、結局のところ、何はなくとも、「子供の遊び場、大人の居場所」。それも、凝った遊具や大そうな装置ではく、芝生にちょっとした隆起や斜面、木陰にテントやベンチなど。人々が何気なくふらっと自然に使いたくなるような設え、言い換えれば、誰でも使い方がイメージできるということ。人々がそれぞれにどう使うかを考えるので、人の想像力だけ使い方があると考えると、ある意味、時代を超える価値がある。そして、人々に長く良い状態で使っていただくという視点では、施設サイドとしてはメンテナンスしやすいということも大切である。
人々の自発性をうながすためにも、サインやポスターも必要なことがわかりやすく伝わることが肝心。エコやサステイナブルな取り組みなどもしっかりと伝えていきたい。人々の関心を喚起する。そのことでゴミが一つでもなくなるかもしれない。ベンチなども大切に扱われるかもしれない。そして、人々の愛着が生まれれば、その快適さは長持ちするに違いない。人々の参加意識を醸成することで、共により良い施設を目指したい。
人々と共に、無駄をなくそう、より本質を目指そう、という気運がようやく現実味を帯びてきた。コロナ禍からの「怪我の功名」として、これからのスタンダードな考え方として継続させていきたい。