先日、京都工芸繊維大学 木下昌大研究室の大学院生に、商業と建築というテーマで、レクチャーさせていただいた。ズームだったので、直接、学生の皆さんの反応がわからないのが、残念だった。
ご依頼をいただいてから、何をどこから伝えればいいのか、学生さんの情報レベルがわからないので、正直、悶々とした。ひとまず、商業と建築というテーマに興味を持っていただければいいのかな?と自分なりに、目標を設定した。まずは、概念的なこと、でも、絵や写真がないとわかりにくいかも、具体的な事例がないと面白くないよね、とだんだんパワポのページが増えていき、結果、いただいた90分という時間いっぱいに話を詰め込みすぎたのは、いたって、反省すべき結末だった。
そもそも、私が伝えたかったのは、商業と建築の関わり方で、プロデュースは楽しい!ということだったのにもかかわわらず、もしかして難しい、という印象を与えてしまったのでは?それでは元も子もない。レクチャー後の質疑でなんとなく、その違和感を感じた。
その難しいは、実は内容ではなく、どうしたら、プロデュースの仕事ができるようになるのか?ということらしい。建築のフィールドでは、ある程度先人の作った型があって、それを体系的に学ぶ学部があり(そこで学んでいるわけで)その先にその学びを活かせる職がある、と言う筋道がある。ところが、プロデュースを教える学部はないわけで、プロデュースの仕事に就くにはどういう筋道があるのか、わからないということらしい。型がないから面白いのに!と心で叫んだが、そういってしまうと話にならない。。。
全く型がないわけではないが、時代の価値の変化に最も敏感であるべきで、いつも新しい発想が求められ、オリジナリティがあることが必定。型通りにはいかないかもしれないが、モノの見方のコツのようなものはあると思う。
現代につながる芸能演劇の一大プロデューサーとも言える世阿弥の言葉に「目前心後」がある。目の前を見ながら、心は後ろにおいておく。表面的に見えてることだけにとらわれるのではなく、その背後にあることを客観的に俯瞰してみることだと思う。
それにしても、世の中、型にはまったことだけでできてるワケがない。型に固執して行き詰まってきたことも多い。そういうことを若者に赤裸々に教える必要があるのではないか?しかも、デジタルでネットで今は秒速で変わっていく。そこは、若者は速攻身につけながら、生きている。もはや、これからの未来は彼らにしか語れない。
今更ながら、レクチャーの最も反省すべき点は、これからの時代を生きていく皆さんが世の中を変える!と締め括らなかったことです。。。